三内丸山遺跡とは

縄文時代

三内丸山遺跡は、およそ5,500年前から始まり4,500年前には廃絶した遺跡とされている。花粉分析によれば、遺跡が成立し始めた縄文前期に、急激にクリの花粉が多くなり始め、遺跡の繁栄した中期を通して全樹木花粉の50~80%を占めようになる。それが、遺跡の廃絶する後期以降は急激に減少し、代わってトチノキ、ハンノキ、ナラ類などの増加がみられる。 このようなクリの花粉量の推移から、クリの栽培が中期に向けて急速に進行し、やがて後期には それが衰亡していったことを推測させる。言い換えれば、人口の増加を、古い狩猟と採取の経済がカバーできず、大陸からの新生産技術による水田稲作へ切り替わっていったことを示唆する。 しかし、このことはクリの栽培中止を意味するものではない

交易品

交易で得たと推測される黒曜石、琥珀、漆器、翡翠製大珠などが出土している

翡翠は糸魚川でしか産出されないので、翡翠の産出は上越地域との交易が証明される。また平底の円筒土器やけつ状耳飾りなどは遼河文明(興隆窪文化)との類似が指摘されている。

漆器

赤色の椀

5000年以上前にすでに漆の技術があったのである

狩猟

出土した動物の骨の7割弱がノウサギとムササビの骨であり、縄文人がノウサギやムササビの肉を食料としていたと推察できる。

漁労:鯛の骨

縄文時代人の生活は、我々が今までに想像していたものより遙かに豊かな生活だった可能性もある。
  • 写真は体長1mのマダイの骨である。三内丸山遺跡は海岸線に隣接しており、
  • 釣り針やモリ等の骨器の他に1mのオールも出土している事から、
  • 丸木舟で沖へ出て大型の魚を捕獲していたと考えられる。
  • タイの他にも、マグロ、ブリ、ヒラメ、メバル等の骨が出土している。
    三内丸山遺跡の鯛の骨.jpg

黒曜石

 北海道の白滝遺跡群からは、赤石山から採種した黒曜石を原料とした様々な石器が大量に発見され、この一帯が石器の製造場だったと思われる。白滝産黒曜石は、南は三内丸山遺跡を含む北東北、北はサハリンやシベリアの遺跡からも発見され、本州・大陸と交易が行われていたことを物語っている。

三内丸山遺跡から出土した土偶は、1,600点にのぼり日本最多である。

ちなみに第2位は、山梨県の釈迦堂遺跡だ。何らかの祭祀が行われていたのだろう。

土器

三内丸山遺跡出土の土器は地味だが、口縁上に波形が施され、胴部の文様も力強い。

三内丸山遺跡の土器.jpg

添付ファイル: file三内丸山遺跡の鯛の骨.jpg 183件 [詳細] file三内丸山遺跡の土器.jpg 182件 [詳細]

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Last-modified: 2020-09-11 (金) 07:54:18 (813d)